鷲尾村夫子著 『気張りもんそ―西郷隆盛の生涯』


 鷲尾村夫子氏(本名 鷲尾明俊 新21回卒)の『気張りもんそ―西郷隆盛の生涯』を読みながら、 ふと「人の心は金で買える」と広言していたライブドアの堀江貴文元社長(当時)や 「金儲けの何が悪いのですか」と開き直った村上世彰氏を思い出した。
 西郷隆盛のような大人物は稀であるとしても、しかし、かつての日本人は西郷のような純粋さや真心をもち、 私心を省みず、公に奉仕する心を理想としていたはずだ。 いつのまに私利私欲に走ることに恥ずかしさを感じなくなったのだろう。
 『気張りもんそ』は、副題に「西郷隆盛の生涯」とあるように、大西郷を主人公とした小説である。 小説とはいえ、事実に則ったものである。
 しかし、いわゆる歴史書ではないので、面白く、ついつい読み耽ってしまう。著者のこの筆力はさすがである。 「日本人の本当の生き方とは何か」を考えさせてくれる好著である。
 なお、本書は日本文学館最終選考入選作である。

発行所 日本文学館


「生徒の善意 橋渡し」 国際交流活動での活躍


 45回生で、本校職員でもある福山太一教諭らの国際交流活動が「生徒の善意 橋渡し」として 神戸新聞(2008年9月6日・朝刊)に掲載されておりましたので紹介致します。
 福山教諭は、国際理解や社会奉仕を行うインターアクトクラブの顧問をしており、 昨年の四川大地震の後、大きな被害を受けた被災者の子供達に何か自分たちで出来ることはないかとクラブで話し合いました。 その結果、生徒と共に元町で義援募金活動を実施し、20万円余を集めました。 また本校職員の宇治孝夫教諭も学園祭で剣道部の生徒らと共に模擬店を出店し、8万円余の収益を得ました。
 福山・宇治両教諭は、夏休み期間中、震源地にほど近い四川省アバ・チベット族チャン族自治州の村を訪問しました。 村は標高3,200mに位置し、世界遺産の四娘姑山(6,250m)の登山基地でしたが、277世帯のうち9割が住宅被害を受けたほか、 村への主要道路が寸断され観光客が激減し収入の途が途絶えていました。
 両教諭は、住民との協議の結果、村の小学生から高校生までの180名分の防寒着を購入することを決定し、 四川省成都の協力者を通じてコート、ズボン等を贈りました。
 この活動が認められ、生徒たちは須磨区青少年育成協議会から「地域の青少年を讃える賞」を受賞しています。

白羽 弥仁(しらは みつひと)さん(映画監督)


 1月24日(土)の朝日新聞を見ていますと、「この人にインタビュー」 という欄に、「映画『能登の花ヨメ』を監督した白羽弥仁さん(44)」「被災地の暮らし銀幕に」 という見出しで3分の1面を超える大きな紙面が目に入りました。

 白羽弥仁さんは、滝川高校第34回卒業生です。うれしくなって記事を読みました。

 第34回卒業生といえば、同期に巨人軍の捕手(のちコーチ・解説者)の村田真一 さんがいます。1年先輩には将棋の永世名人の資格をもたれている谷川浩司さんがおられます。

 映画「能登の花ヨメ」は「震災のつめ跡が残る能登を舞台に、ふるさとと家族の温かさを描いた」(朝日新聞)映画です。  関西では昨年12月に公開されましたが、2月21日に東映ビデオからDVDが発売されるということです。皆で応援しましょう。

青田昇さん、野球殿堂入り


 −本塁打王5回−
 去る1月13日に野球体育博物館(理事長―加藤良三コミッショナー)から 青田昇さんの野球殿堂入りが発表されました。 周知のように、青田さんは、旧制滝川中学を経て外野手として巨人に入団、 戦後、阪急を経て、昭和23年に巨人に復帰し、川上哲治の赤バット、 青田の青バットで打撃を競い合われました。

 プロ16年間で、本塁打王5回、首位打者1回、 通算本塁打265本などの輝かしい成績を残されました。

 −歯に衣着せぬ解説−
 引退後はコーチや監督(大洋ホエールズ)、さらにはテレビ・ラジオの解説者として活動されました。 コーチとして、青田さんに一言指導を受ければ、見違えるように成長するといわれました。 また、歯に衣着せぬ解説で人気がありましたが、それは野球に対する明確な理論と勘に裏打ちされた 自信によるものであったと思います。

 −滝川同期生にNEC関本忠弘元社長ら−
 青田さんは旧制滝川中学校第25回生です。滝川中学校では同期に、 NEC(日本電気)の社長・会長を経てこられた関本忠弘さんや、 岡山大学学長をされた高橋克明さん、 神戸大学医学部教授で勲二等を叙勲された松尾保さん、 さらに人類最初の月面着陸をはたしたアメリカのアポロ計画の スペースメーター(宇宙露出計)を製作された吉山一郎さん (のち、ミノルタ専務)ら錚々たる方々がおられます。

 旧制25回(幹事、辻本三男・堀忠彦)のメンバーは毎年12月に同期会をされています。


岸田典久(平利朝)氏(新十四回)
コスモス文学新人賞、中編・長編部門連続受賞

熊谷 保孝(新十六回)


 「本校の卒業生は多士済々だなあ」と、つくづく思う。 新十四回卒業の岸田典久氏も、その一人である。 岸田氏は大阪府立島本高等学校校長等を経て現在奈良大学に勤務されている。
 氏は「平利朝」のペンネームをもたれる小説家でもある。 昨年、小説「妙な祟り」で、小説中編部門の第九十八回コスモス文学新人賞を受賞された。 つづいて「若い桃の木」で、小説長編部門の第九十九回コスモス文学新人賞を受賞された。 中編・長編の連続受賞である。
 両作品ともに、読みはじめると、なかなか途中で止めることができない。 最後まで読者を強力に引っ張っていく力をもつ作品である。 そして現在のわれわれの日常を、もういちど素直な心で見つめ直し、生き方を考え直させる内容である。
 私が、ここでこの両作品のあらすじをまとめてしまえば、つまらないものになってしまい、 作者の意図に反するかも知れない。 また、作者の意図と異なることになるかも知れない。 しかし、あらすじを紹介しなければ、同窓生の皆さんに平利朝(岸田典久)氏の作品の一パーセントさえも伝わらない。 あえて紹介させていただいた次第である。

 「妙な祟り」の主人公の榛原邦彦は冥界(あの世)の人となっている。 大阪のある郵便局に勤務していたとき、高校の教員から出向してきた伏木龍一郎という男を部下にもった。 彼は伏木の嫌味な態度に悩まされ、ついに癌を患って冥界入りした。
榛原が冥界入りして驚いたことに、自分より四、五年前に冥界入りしていた小笠原と知り合ったが、この小笠原も公民館の館長をしていたときに出向してきた伏木を部下にもったのである。 小笠原は伏木の将来のためにいろいろと経験をさせてやろうと考えて、伏木の不得手な仕事をさせていた。 伏木はそれを不満に思うようになり、小笠原に不満をぶつけて詰め寄るようになった。 小笠原は伏木の態度に悩まされ、ついに脳溢血で倒れ、冥界入りすることになったのである。
 榛原が冥界入りして三年ほどしてから、弓場という女性が冥界にきた。 彼女は大阪ではまだめずらしい、高校の女性の教頭であった。 彼女は一生教育に身を捧げたというような生き方をした女性だった。
 しかし、弓場が教頭をしている高校へはじめて校長として赴任して伏木の顔を、彼女はまだ知らなかった。そのため伏木の自尊心を傷つけてしまうことになった。
 そのあと伏木校長は弓場教頭にいろいろと注文をつけるようになった。 弓場は、一般教員との関係も考えつつ、できるだけ校長の意に沿うように努めてきたが、しかしついに蜘蛛膜下出血で冥界入りすることになってしまった。
 これらの事例から榛原は、伏木が自分の気に入らない者に呪いか呪術のようなものをかけ、その祟りを受けたものが落命しているのではないかと考えるようになった。
 そうこうしているうちに、辻真吾という四十代の男が冥界にくる候補として浮かび上がってきた。 辻は、弓場が教頭をしていたときの、真面目で仕事に熱意をもつ教員であった。 彼は校務運営委員として、また教職員組合の幹部として、伏木校長と頻繁に接触する立場にあった。 その辻が修学旅行の引率中にバックをしてくるバスに追突され意識を失ってしまったのである。
 弓場は、辻の人柄や仕事に対する情熱を認め、なんとか冥界に来なくてもすむように祈り始めた。 すると伏木の呪い、あるいは祟りのようなものが少しづつ消えて行き、辻の魂は現世に帰っていった。 弓場の辻に対する無心の祈りが神仏・万物の霊魂に通じたのである。
 榛原その一部始終を見ていた。 そして心境が変化した。 自分は、「伏木の酷い仕打ちを受けて冥界入りしてしまった」と、これまで伏木に根深い恨みを懐き続けてきた。 しかし伏木の呪いだけではなく、自分自身の人柄のなさや、仕事への熱意のなさなど、自業自得としてそうなった面があるのではないかと、このように気付かされるようになったのである。
 このような筋を、途中で止めることができないほどの牽引力でもって、最後まで引っ張っていく筆力で書かれているのがこの作品である。

 なお、「若い桃の木」のあらすじも紹介したいところであるが、紙数にも限りがあるので、ここでは割愛せざるを得ない。 ただ、一言でいうならば、京都の大学を出て、大阪のある市役所に就職して将来を嘱望された青年が、ある事情から市役所を辞め、岡山の農村で生活するようになって、そこに生きがいを見出すまでの過程を通して、現在の人間の生き方を考えさせられる作品である。
 「妙な祟り」は、『コスモス文学』三二二号(二〇〇六年八月号)、「若い桃の木」は、『コスモス文学』三二五号(二〇〇六年十一月号)に掲載されている。


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